僕も結局スリザリン

 

 

グリフィンドールの正統派情熱人間かと思いきや、狡いところいっぱい持ってるスリザリンですよね、自明に。

 

 

昨日昼こっからの

 

 

昨日夜久々に友達とサシで飲み行ってきました

こんなに友人の存在をありがたいと思えたのは初めてだった。それは、今まで当たり前すぎてそのありがたさを感じていなかったのもあるし、単純に自分がアホの子だったのもある。

 

すごく刺激をもらった。

要約すると自分の大学生活は、ゴミだ。最初15個くらいのサークルに入るも帰属意識が既に全て0に達し、全てやめた。そりゃそうだ、エネルギーの注ぎ先と分量を自分である程度コントロールしないで、とりあえずビュッフェを片っ端から盛り付けたって食い切れるわけない。帰属意識だって、どっかから転がり込んでくるようなものではなく、一人一人との相互作用の中で地道に積み上がっていくものだ。全く、自分にフィットする完璧な理想郷がどこかにあるはずだ、という絵空事を軸に、これじゃないこれじゃない、とありとあらゆる人、組織をぽいぽいしまくった。そんな傲慢をしても許されるだけの荘厳な人生軸としての「資格勉強」。しかしこれも結局、マジックワードとして使って、これを言い訳にさまざまなサークルや大学生デビューしようと頑張る「一見軸のないやつら」を馬鹿にしたり、自分の体面を保つための道具に使ったりした。果てしなく形骸化したプライドのゴミであった。彼らが自分の感じたことや考えたことをしっかり積み重ねて軸を形成しているなかで僕はむしろ悲惨だったわけだ

サークルが無理だから体育会に入るも、結局そこで出会った同じような弱さを持ったやつと、散々逃避行を繰り返した。しかし彼は自分にはない強いところはいっぱい持っていて、そこから教わったことはたくさんあったし、計画性のなさにおいては共通はしていたものの、弾丸でドライブで散々旅行したり、山奥の一本道の道の途中にある、食べログにも乗っていない蕎麦屋でくそうまい蕎麦を食ったり、たまに一緒にぴんさろ行ったり、とにかく、限界極めてはいながらも、楽しい、大学生らしいといえばそれらしい、堕落をやっていた。

個人的な活動としては、カラオケの100点を取る技術の習得だけに全てを捧げた。資格勉強のテキストを参考にすることでたいていの大学の科目は単位は取れたので(大体Cだけど)、基本週に3回ほどはフリータイムで入り、練習した。結果初見でもボーナスありなら100点取れる(テレビとかでもお馴染みの、live DAM 精密採点DX-G)ようになった。(AIが導入され出した頃にコロナが始まって結局AIではまだ100点出せていない)

そして形式的な大学主催の留学プログラムに参加するも、同じひとつの寮を日本人大学生が占拠するかたちとなっていて、寮ではもちろん日本語で会話、卓球台とバスケコートと、だだっぴろいリビングのような共同スペースがあったので、昼はバスケ、空き時間は賭け卓球、夜は2時3時まで人狼バトルをあつく繰り広げた。99パーセント日本語の留学だった。人狼が大変にうまくなって帰ってきた。タバコを吸う人がたくさんいて、そこで自分も喫煙者になった。

彼女もできたしそこそこ付き合ったけれどその彼女のことも結局好きではなく、彼女からの好意を利用していただけだった。そんなこんなで大学時代は終わった。

間違いなく自分なりに頑張ったが、頑張りかたは間違えたし、結果本当になんにも残ってない大学生活だった。人狼の腕と、カラオケの採点歌唱が身についた程度だろうか。

 

その傍ら、友人は、抑えるべきポイントをしっかり抑え、大学生活に秩序をあたえ、就活もこなしていた。その裏にある苦労や葛藤も僕は知った分、余計彼が本当にすごいんだと改めて思ったし、自分が友人でいられることに感謝しようと思った。

こういうふうに思えたのはほんと、最近になってようやくだ。大学生活のどん底の間は本当に腐っていたから、救いようもなかったが、少しずつ、救いようが出てきたような、ちゃんと救われようというような、気がしてきた。

グリフィンドールで一直線の人生かと思いきや、狡猾だらけのスリザリンの凝縮みたいな感じだったけどそれもそれで、まあよう頑張ったなと思う。

 

特に彼と話して実感したのが人の繋がりをことごとく断絶してきてしまったということだ。これは大学生活の一番の醍醐味を盛大にゴミ箱にぶちこんだような気持ちよさすらある。

もちろん、それでもこれは大袈裟で、全然会える人がいっぱいいる。帰属意識ないなりにもちゃんと参加しようと頑張った分だけの、繋がりはできた。

今手元にある、このか細くも残ってくれたつながりから、ちゃんと信頼を取り戻していこうと思う。というのもまったく、簡単な話ではないし、そんな綺麗事では済まされないし。リングフィットアドベンチャーに罵詈雑言を浴びせながらでないとプレイできないほどに幼稚なんだから。

でも、本当に彼には感謝している。自分のやってきたことの無理筋だったこと、だけど頑張ってよかったこと、次につながること、失敗だったけど次のチャンスになること、そういうのがぱっと見えてきた感じがした。そしてその芯のモチベやメンタル面での炎をちょっとわけてもらえた感じがした。こんなことをしてくれるっていうのが、もうすごくありがたいお思った。

 

感傷に浸っている場合でも悲劇気取ってる場合でもない。やるべきことをやろう

まずは、メニエール治そう

 

 

 

ということで今日は4時間くらいRFAやったね。

負荷1でバンバン進めていくと普通に楽しいです。

大発見。

途中まで暴言も度々でてたけども、だんだんすっごく楽しくなってきた。

はやく明日も進めていきたいもの。

まずは130レベにしてスキルツリー開放。

レベリングして23面まで突っ走る。

あとはやり残しを回収しつつ、エクストラへ。

 

 

 

あと今日昼。

ウマ娘チャンミ優勝 ヴァルゴプラチナ。

 

 

これ地味に嬉しいです

今後の励みになるわあ

 

今週のお題「眠れないときにすること」

 

 

 

 

 

 

読みました

1977年の本ですよ

 

今の哲学思想の分野って、もう哲学語といったほうがいいような「」つきの用語で塗れていて、文章がうねっている。噛み砕いたら絵本の方が示唆あるんじゃねえかレベルで空洞だったりしそうなもんだ。

何が起こっても変じゃない そんな時代さ覚悟はできてる

歓びに触れたくて明日へ

僕を走らせる

(エェェェェェェース)

 

いや、エェェェェェェースじゃないのよ。英語で言うitみたいなレベルのドイツ語。吐息混じりのエェェェェェェース。しかしその哲学語は実際言葉だけが独立してしまって、僕らの人生との接点を失うレベルまで来ているものが多くないか、

 

その点、この本はそうした哲学語のような濫用に頼らず、参考文献もやたらめったらに参照せず、自然に言葉の意味を考えたりして話が進んでいくのがとても新鮮だった。

 

ヒーロー、ダイアローグ、コロス

われとわれわれ。

 

イコン破壊。実際現代の思想・哲学はイコン破壊による、新しい難しい英単語を覚えるかのような距離感での、哲学語の発生が止まらない。そこでは繰り返し引用される一定のリソースが決まっていて、それをある程度読み込んでその文脈を理解し、自分である程度こねくり回せるようになってないと話になりませんよーという、「にわかは会話には入れません」的閉塞感に繋がっていると思う。肛門期的マネーゲームに固着しているだとか、シニフィアンだとか、もちろんハイコンテクストでも議論の流れそのものが流麗で、結論がシンプルで、ただ途中に出てくる概念でいくつか難しいのがある、というのなら、そこさえ抑えればくらいついていける。でもちょっと俺らだけに許された言葉、感を出しすぎている感は否めないか。裁判所の判例が文書として気持ち悪いように。

 

未開人

北米インディアンプエブロ族的に行こうよ。

神話の体系

中沢新一、対称人類学と通ずるものを感じた。

伊弉諾伊奘冉

天照素戔嗚

2進数であり、これは現在の0と1を元に情報処理のすべてを行うコンピューターの基礎となっている、と。

 

人間関係の間接化、コミュニケーションの透明化、過疎化

自然的欲求から文化的欲求 料理 嗜好品

祭り、遊び、演劇

 

哲学、という学問領域のなりたちを、幾何学で言うところの、点、線分、直線、平面、みたいな着実で丁寧な定義の広げ方のように、哲学verでそれをやってくれている本だと感じた。また立ち帰りたいと思う